モロッコ美容は、植物療法などに基づいた手作りコスメによる肌や髪、ボディの伝統的なお手入れです。
各家庭にはとっておきのスキンケアやヘアケアのレシピがあり、それは母から娘へと受け継がれます。
アルガンオイルやガスールといった自然の恵みでキレイになる美容法は、世界でも注目の的。
そもそも、モロッコ美容は中東地域で受け継がれているアラビアンビューティーのひとつで、西欧はその美容法を模倣して発展させていったのです。
アラビアが美容法の発祥地
「アラビアンビューティー」という言葉は耳慣れず、どんなものなのかピンとこないかもしれません。
肌や髪のお手入れは、韓国垢すりやタイマッサージといった「アジアンビューティー」など、それぞれの文化圏によって多様です。
アラビアンビューティーは、モロッコからエジプト、そしてシリアといった地域で、アラブの女性たちに数世紀にわたって受け継がれてきた美容法です。
アラビアンビューティーの歴史は古く、文明の黎明期に誕生しました。メソポタミア、ペルシャ、インド、エジプトと古代の女性たちの美容法が脈々と伝わってきたのです。
例えば、エジプトでは紀元前からボディケアが行われていたのが知られています。
そのカリスマ的存在といえば、古代エジプトの女王クレオパトラ。
クレオパトラは、その麗しい姿をキープするために、さまざまな美容法が生み出しました。
そうした伝統的な美容法のいくつかは、モロッコ美容にもつながっています。
こうしたアラビアンビューティーは、イスラム文化圏の伝統医療や植物療法に基づいて育まれてきました。
ヨーロッパの人たちはそれを学び、取りいれていきました。私たちになじみのある西欧の美容法も、もともとはアラビアンビューティーを参考にしたものが多々あります。アロマテラピーやオーガニックコスメなどもそうです。
アラビアンビューティーは、現代スロービューティーの元祖ともいえます。
モロッコで愛される手作りコスメ
少し前まで、モロッコではフランス製のコスメを使うのがステイタスだったのですが、最近では、昔ながらの美容法が見直されているそうです。
そう教えてくれたのは、モロッコの20代の女性。
「既成の化粧品は、一時的には効くけれど、やっぱり伝統的な自然素材のほうが信用できるわ」と。
モロッコの女性がいかに手作り美容を信頼しているのか。それはモロッコのフェミニズム学者ファティマ・マルニーシーさんの著書『ハーレムの少女ファティマ、モロッコの古都フェズに生まれて』に登場する、伝統美容にまつわる母親のエピソードでもわかります。
マルニーシーさんの父親は全てにおいて伝統を尊ぶ人だったのですが、妻(マルニーシーさんの母親)が夢中になる昔ながらの美容法を許すことができず、それをやめさせようと、大金をはたいてフランス製の化粧品を妻にプレゼントしたそうです。
妻はすべての製品を興味深く観察し、成分や使用法を翻訳してもらったのですが、化学研究室の専門の男性がこれらを作ったと知ったとたん、化粧品を全部突き返してしまった、というのです。
自分で選んだ材料を使って自分でコスメを手作りする。
これがモロッコ美容の基本です。
モロッコ手作りコスメの基本素材
モロッコには、美容効果の高い天然素材が豊富です。
アルガンオイル、ガスール、ヘナ(ヘンナ)、はちみつ、ローズウォーター、オレンジフラワーウォーター、サボテンオイル、そして薬草(ハーブ)などです。
これらの天然素材は、現在では科学的分析でその薬効が明らかになっています。
アルガンオイル
ガスール
ヘナ(ヘンナ)
はちみつ
ローズウォーター
オレンジフラワーウォーター
ウチワサボテンオイル
薬草(ハーブ)
これ以外にも、フルーツやナッツ、卵、牛乳、ヨーグルトなど、台所にある食材も美容に使います。
モロッコ美容は、ローズウォーター、クリーム状にしたガスールやヘナ(ヘンナ)など、水を使う美容法が多いのが特徴です。
アラビアンビューティーは、エジプトから東の地域はドライ(乾燥)系、モロッコあたりはウェット(湿潤)系で異なるそうです。
「日本もウェット系。だから、お互い親しみを感じるんじゃない?」と言うモロッコ人男性もいます。
モロッコ美容は確かに、日本人に向いたお手入れ法のようです。
このブログでは、モロッコ美容の効能と魅力を少しずつ解明していきたいと思います。
モロッコ美容は自分の体と心のバランスを整えるお手入れ法でもあり、肌や髪の調子や体調に合わせて自分好みにカスタマイズできます。
このサイトで紹介しているレシピを参考に、モロッコ美容を楽しんでみましょう!
アラブとアジアの交流がみえる赤い頬紅
「アラブは日本から遠く離れた地域だし…」と親しみを感じない人もいるかもしれませんが、アラビアンビューティーは日本にも伝わっていたのです。
何世紀もの昔、シルクロードなどのルートで。
たとえば、口紅の原料の“紅花”。
この紅花は、中東周辺やインドから、中国へと伝来し、日本でも栽培されるようになりました。
日本人が、赤い植物で作った紅で化粧をはじめたきっかけのひとつは、遠いアラブ地域の美容を取り入れたともいえます。
「樹下美人屏風絵」や「鳥毛立女屏風絵」などに描かれた女性のメイクを見ると、奈良・平安朝時代の化粧法が大陸の唐朝文化の影響を受けていることがわかります。
特徴的なのは、赤く大きく塗られた頬紅。
日本に紅が渡来した当初は、大陸風に、額、目元、口の両側などに紅い点をつけたそうです。
それがやがて、頬だけになりました。
モロッコの伝統的な頬紅のさし方にも、これとよく似た化粧法があります。
赤い点をつけたり、頬全体を赤く大きく描くメイクです。
紅の起源は中国だといわれています。
陸や海のシルクロードを使って交易していたアラブ商人によって、はるばる北アフリカに伝えられたのかもしれません。
現在のように便利な社会ではない時代から、メイクや化粧品の情報交換は活発だったのです。