アラブアンビューティーは表面的に美しくなるのではなく、深部から清めて外見と内面を変化させ、精神と肉体を磨くという感覚があります。
分かち合いの心が根底にあり、歓待のまなざしを引き寄せ、敵意のまなざしを遠ざける”美しさ”が求められるのです。人を愛し、尊重することでかもしだされる”誇り”が真の”美しさ”だと考えられています。
イスラム美容はのんびり楽しみながらのケアばかり。
しかも、お手入れに時間をたっぷりかけるのが特徴です。
なにかと忙しく、のんびり爪のお手入れなどしている時間などないのが、私たち日本人。
でも、北アフリカの女性たちは、時間に追われてあくせくしません。
日本に滞在していたモロッコ人の女性が帰国する前日、こんなことがありました。
引っ越しやら、荷物整理を手伝った私は駆けずり回り、夜に彼女が宿泊するホテルの部屋にたどりついたら、彼女はパックしたままドアを開け、昼間のドタバタがうそのような呑気に過ごしていたのです。
あたふたした自分が滑稽に思えてしまったほど。
そこで、忙しい毎日で無理かもしれないと思いつつも、モロッコの爪と手の悠長なお手入れを紹介します。
忙しい現代人には贅沢な美容法。
その原点は、「急がないのがカッコいい」というエジプトの考え方にあるのかもしれません。
フランスで目にする「美容の歴史」本のほとんどは、「古代エジプト美容」の紹介からはじまります。
先日、こんな記述を見つけました。
「ミイラをいかに美しく保存しようか頭を悩ませたのだから、エジプト人はつねに“美”にこだわっていたはずだ」
古代エジプト人にとっての“美”は、外見だけでなく、ライフスタイルや精神状態も含めた状態を示すとのこと。
良好な精神バランスこそ美しさの基本。
それに対し、「醜い」のは「バランスを崩す」状態。
ですから、エジプトでは、「走ったり、急いだり」するのは、「品位に欠ける」とみなされるそうです。
「あわててヘマをする」などもってのほか。
取り乱したり、泣きわめくのもNGです。
つねに落ち着き、堂々とした風采を保つのが、エジプト流の美しさなのだそう。
こうした精神的な満足感は、モロッコにも通じる気がします。
モロッコのちょっといい言葉をご紹介します。
「シャワーを浴びたのね、ベサハ!」
モロッコ人と旅行したとき、シャワー室から出てくるたびにそう言われました。
意味を尋ねたら、「う~ん、『おめでとう』(ここだけ日本語で)ってことかしら」と。
ベサハ(bessaha)どうやらポジティブに相手をほめるときに使うらしいのです。
「例えば、『髪を切ったのね、ベハサ! 』『その洋服似合ってるわ、ベハサ!』『パリに行ってきたの? ベハサ!』というように使うの」と彼女。
“あなたの幸せをおすそわけしてくれて、ありがとう”といった感じでしょうか。
こちらもうれしくなる言葉です。
お互いに「ベハサ!」いっぱいの毎日だったら、みんな気持ちよく暮らすことができそうですね。
もうひとつ、モロッコ独特の感情を表現する言葉に、「ハナーン」があるそうです。
日本語に訳すと、“自由自在の気軽さ”“無条件の優しさ”。
ある本で見つけたのですが、モロッコ人に聞いたら、「???」と首を傾げていたので、さほど使われていないのかも。
でも、モロッコの人づきあいは、「ハナーン」な感じです。
モロッコでは、友人やご近所さん、親戚などがフラリと訪れ、お茶や食事に合流するのはよくあること。
訪問者には、何時であろうと、食べ物をふるまうといいます。
昔の日本もこんな風だったなぁ、と、モロッコに行ったときに懐かしく思いました。
近所づきあいというのは、けっこう面倒くさいときもあるけれど、全くなくなってしまうのは寂しいですよね。
ライフスタイルや心の状態が美しさを作ることを忘れないでいたいものです。