イスラム庭園1:パティオ祭り (コルドバ)

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イスラム式庭園は人を癒す優しさにあふれ、心と体の美の基本がそこにあるように思います。

私はイスラム式庭園が好きです。

何回かにわたって、イスラム庭園について書いたものを紹介します。
1回目は、スペインのコルドバ、パティオ祭り。


 

「オラー!」 唯一知っているスペイン語で、「こんにちは!」の挨拶をしながら、見も知らぬ個人宅へ入っていく。
今自分が立っているのは、鉄柵ごしに見えていた秘密の花園。目の前の可憐な光景に、全く言葉を失ってしまう。
決して広くはないけれど、色鮮やかな花に包まれたパティオ(中庭)は、まさに地上の楽園だ。

5月初めに開催されるコルドバのパティオ祭りは、優秀な中庭を選ぶコンクール。
46ほどの家庭が「伝統建築の部」か「モダン建築の部」のいずれかにエントリーし、自慢の中庭を競い合う。
1981年に始まったこの祭りは、コルドバの春の人気イベントで、観光客もたくさん訪れる。
この期間中に限り、コンクールに参加する地元の中庭が一般公開されるからだ。

中庭見学の中心は、白壁の家が並ぶラ・フデーリア地域。
観光案内所やホテルで手に入れた地図をたよりに歩くのだが、この辺りの道は迷路のように入り組んでいて、ぐるぐる回ってしまうことも。
初夏の日差しは強く、目的地につくころにはグッタリ。
でも、花の宝石をちりばめたパティオにたたずむと、疲れなど一瞬にして吹き飛んでしまう。

コルドバのパティオは、中庭を囲む白い壁に、青、緑、赤などで統一した小さな植木鉢を無数に飾るのが特徴だ。
カラフルな植木鉢に植えてあるのは、ゼラニウム、カーネーション、バラ。
花びらのピンクや赤、葉の緑、そして鉢の色が、エキゾチックで魅惑的なモザイク模様を描く。
イスラム圏で見るタイル装飾が、生の植物で再現されているのだ。

アンダルシアにはじめて中庭を伝えたのはローマ人といわれるが、パティオの起源は、8世紀に入ってきたイスラム文明の影響を受けている。
アンダルシアの語源も、al-Andalusというアラブ語に由来する。

勢力争いに破れ、バクダッドを追われたアブド=アッラフマーン1世は、北アフリカを経由してイベリア半島に上陸し、コルドバを都に後ウマイヤ朝を開いた。
王は、故郷を懐かしみ、東方イスラム文化を積極的に摂取し、この地でヒスパノ・モレスク文化を成熟させていく。
このヒスパノ・モレスク文化は、海を隔てた北アフリカにも波及していった。

東方イスラムでは、厚い壁と柱廊を巡らした邸宅に、噴水や泉を設けた中庭を造った。
タイルをアラベスク模様に敷きつめた床。細く長い池にこぼれ落ちる水。
数は少なめだが、ところどころに置いた鉢植え。水と緑が調和した中庭は、清涼感にあふれていた。

このイスラム庭園が、イベリア半島の文化と融合し、ヒスパノ・モレスク独特のパティオが発達していく。
この伝統は、宗教が変わり、時代が変わっても、廃れることはなかった。
コルドバのパティオは、今でも住民に愛され、大切に受け継がれている。

パティオは家族の憩いの場であり、隣近所の人たちとのコミュニケーションの場だ。
来訪者を迎えてくれるのは、少し寡黙なアンダルシアの女性たち。
たとえ言葉をかわさなくても、丹精こめて作り上げたパティオを見れば、彼女たちの愛情深さを感じることができる。

イスラム庭園2:サラ遺跡(ラバト)
植物が勝手気ままに茂っているようだが、サラ遺跡はモロッコの国立公園。古代ローマの都市国家は、モロッコの首都ラバトのサラ遺跡にその面影をとどめています。フォラム(公共広場)の土台、アーチ型に装飾した商店、神殿跡やメイン道路なども残存します。