イスラム庭園2:サラ遺跡(ラバト)

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イベリア半島および北アフリカの共通点は、フェニキア人の支配後、ローマ帝国の植民市となったことだ。

この地は、3世紀頃までに次々とローマ化し、カピトリウム神殿、公共広場、バジリカ、浴場、凱旋門が造られた。

豪奢な邸宅に住み、豊かな生活をする上流階級も現れたという。
その邸宅には、柱廊で囲んだ庭園があり、タイル舗装と四角く掘った池を設けた。
園路の中央に大理石の水盤を置き、彫像や植物を飾ったという。

ヒスパノ・モレスク文化が生まれる土壌となったローマ都市国家は、モロッコの首都ラバトのサラ遺跡にその面影をとどめている。

積み重ねた石の赤と草木の緑。天然色のコントラストが、無機質な近代建築に慣れた目には新鮮だ。
植物が勝手気ままに茂っているようだが、サラ遺跡はモロッコの国立公園。
下手に創作されていないところが、かえって大きな魅力となっている。

ゆるやかな斜面に残るのは、むきだしになったフォラム(公共広場)の土台。
アーチ型に装飾した部屋らしきものは、商店だったという。神殿跡やメイン道路なども残存する。

ローマ時代の風景が、目の前に広がるものと一致するはずはないのだが、原住民ベルベル族の住む北アフリカの植民市は、素朴でのどかだったのかもしれない。
緑の草が生い茂っている遺跡を見ていると、そんな気がしてくる。
ひっそり静まり返っているにもかかわらず、どことなく陽気な雰囲気。
煉瓦色の石壁からは、人々の朗らかな話し声や笑い声が、聞こえてきそうだ。

ローマ人が北アフリカの首都に選んだのは、すでに栄えていた町サラだった。
今ではイスラム教国のモロッコも、ローマ時代にはキリスト教徒が多く、ラテン語を話し、ローマ風の暮らしをしていた。
この風習は、アラブ人が到来するまで続いたという。

アラブ人は、ベルベル族の激しい抵抗を抑え、勢力を拡大していった。
部族国家の王子たちはイスラム文明を学び、それを普及していく。

ローマ時代からはるか千年後、サラはイスラム王朝によって再建され、シェラと呼ばれるようになる。
この遺跡は、歴史の証人として、変わりゆく時代を見守っている。

 

イスラム庭園3:アルカサバ(マラガ)
マラガの小高い丘にそびえる、ひときわ目立つ巨大な建物アルカサバ。アドリアナ広場から階段を上り城、イスラム美術館となっている城へ。途中にローマ時代の劇場跡はあるが、庭園はない。それでも、深い緑とブーゲンビレアの赤い花が砂色の城壁映え、みごとな景観。